管理番号 | 新品 :79568544 | 発売日 | 2024/01/28 | 定価 | 178,000円 | 型番 | 79568544 | ||
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真作保証 木田金次郎 直筆サイン入り色紙絵 希少な1点物 歴史的発見 額装※額に少々のスレ・キズがあります。作品寸法:縦26cm×横23.5cm 額寸法:縦53.5cm×横50.5cm佐川急便の宅配便にて 発送いたします。木田金次郎は、1893年(明治26)北海道岩内郡に生まれました。 1904年岩内尋常高等小学校尋常科卒業。 1908年岩内尋常高等小学校高等科卒業、 東京開成中学入学。 1909年開成中学を中退、京北中学に編入学。 この京北中学時代から絵を描き始め、上野で開催されていた文部省美術展覧会に足繁く通う。 1910年京北中学4年を中退で帰道、札幌郊外で絵を描く毎日を過ごす。 札幌で開催されていた黒百合会第3回展で有島武郎の作品に深い感銘を受ける。 この後、豊平川畔にあった有島の家を偶然見つけ、描きためたスケッチを携えて、 数日後訪問する。岩内に戻るが、家業不振のために漁業に従事する毎日となる。 やがて有島が、木田青年との交流を小説にし、1918年「生れ出づる悩み」として出版すると、 そのモデル画家として知られるようになる。 有島の激励を受けながら、厳しい漁師生活のなかで岩内周辺の自然を描き続ける。 1923年有島武郎が軽井沢で波多野秋子と心中、この頃から木田は漁業を捨て、 画業に専念する決心を固めたといわれる。 1928年満州・朝鮮を写生旅行、大連で2日間の個展開催。 1934年2か月半を費やして大雪山の連作を手掛ける。 1941年利尻・礼文島へ写生旅行、独立美術協会の野口彌太郎らが同行。 1942年山田フミ(後に文子)と結婚。1944年堀株村69番地に転居。 1945年後志美術協会が結成され、木田も名を連ねる。 しかし展覧会には一度も出品することがなかった。 全道美術協会(全道展)の創立に名を連ねる。 しかし出品せずに、1949年に脱会する。1947年堀株村から岩内に転居。 1950年岩内町文化賞受賞。1952年作家・八木義徳が岩内の木田宅を訪問、 八木はこの対面を「漁夫画家」と題して、 10月発行の『文学界』に発表。 1953年「木田金次郎個人展第一回」を札幌・丸井今井百貨店で開催。 1954年台風15号(洞爺丸台風)による岩内大火で、 油彩・デッサンあわせて約1500~1600点を焼失する。 北海道文化賞受賞。1956年島本融(北海道銀行頭取)の著書『銀行生誕』の表紙と挿絵を描く。 1957年「木田金次郎油彩小品展」を北海道銀行東京支店で開催、北海道新聞文化賞受賞。 1958年戸籍名金治郎を、以前から使っていた金次郎に変更。 1959年朝日新聞社主催で「木田金次郎作品展」を東京・日本橋高島屋で開催(その後仙台・札幌を巡回)。 1960年中谷宇吉郎との共著『北海道』(中外書房)を刊行。 1962年朝日新聞社主催で「木田金次郎新作展」を東 京・日本橋高島屋で開催(その後大阪・福岡・札幌を巡回)。 同年、没。