管理番号 | 新品 :05434745 | 発売日 | 2024/04/29 | 定価 | 39,800円 | 型番 | 05434745 | ||
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マッコウクジラの歯 でしょうか 引き継いだスクリムショーです。 スクリムショーはアメリカの文化遺産として、博物館にも所蔵展示されています。 片面にペリー提督、反面に黒船来航の要因の一つである日本で難破したローレンス号が彫刻されています。約170年前?黒船の乗組員の手によるスクリムショーかもしれません。 プロフィール記載事項もご確認ご了承下さい。 「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」という有名な狂歌があります。 嘉永六年(1853)黒船で日本に到着したペリー提督が幕府に呈したフィルモア大統領国書の「蘭文副本」によれば、黒船来航の目的は以下の通りです。 和親・交易・石炭・食料及び合衆国難民の撫恤ハ、即其件々なり。つまり、①和親条約の締結 ②開港、通商 ③米国船への石炭、食料の補給④米国船の難民の救済 です。そのうち、アメリカ人の「難民」を救済することは、開国と同列の主要な事項として取りあげています。 当時世界最大の捕鯨国であった米国が数度の捕鯨船難破から、日本を野蛮な国と見做し乗員の人道的な保護を求めていますが、他国を蔑視する差別的な思想潮流は脈々と根底に息づいていますね。難破した自国民を日本人は虐待虐殺すると見做していた事が覗えます。 ◎1846年(弘化三年)ローレンス号難破 4月11日エトロフに異国人7名が艀で上陸しているのを番人が発見、松前藩勤番所へ届出ています。途中経過は不明ですが最終的には長崎へ護送され、オランダ定期交易船でジャワのバタビヤへ弘化四年(1847)秋に送られ、アメリカ商船か米東印度艦隊かに引渡されている様です。 弘化三丙午年五月 私領分東蝦夷地アヘトロツ島之内ルヘツ持場東浦見張番所より一里半程相隔...中略...異国人七人上陸致居同頭立候者壱人病人ニ相見候何等之訳ニ而相越候哉手真似ニ而相糺候所、及破船候手真似致し人数十四人拮打七人海死之手真似ニも候哉愁傷之体ニ相見候間、...中略...アヘトロフ島勤番家来共より昨夜私居所江申越候、爰許家来共之内出立申付、猶又厳重取扱候様申遣候、此段御届申上候、以上 閏五月三日 松前志摩守 ◎1853年ペリー提督来航 米国のペリーが4隻の艦隊(内2隻は当時の世界最大級の蒸気船)を率いて浦賀に米国大統領国書を持参して日本に開国を迫りました。 マッコウクジラ 抹香鯨